|
平成18年度 第29回小学生の部 最優秀賞
四国地区代表
徳島 鳴門市光武館道場
|
6歳の時、光武館道場に入門したぼくは、その頃から大きな声で号令をかける先輩キャプテンに憧れていました。ぼくも6年になったらあんなキャプテンになりたいと思うようになりました。でもよく見ているとキャプテンは、「声が大きい」「休まない」「みんなのめんどうをよく見る」剣道が強い」そんな人がキャプテンになっていることが分かりました。どうしようかと迷ったけれど剣道を続けていくのならキャプテンになりたい、そのためにー生けん命努力したいと思いました。そしてがんばって来てキャプテンになることができました。
けれどもそれは長い道のりでした。暑い日寒い日、学校行事で疲れた時、つい練習をさぼりたくなって、「一日くらい休んだって次がんばればいいんだ。」そんな気持ちで休んだ時もありました。試合に勝てない事が重なると、気合いもなくだらけた練習をすることもありました。
そんなぼくがあらためて剣道が好きなんだと感じたことがありました。昨年夏、ぼくは首のリンパ腺が腫れる病気になり、医師から「暫く運動は止めなさい。」と言われ、毎週血液検査に行っていました。が、なかなか良くならず剣道もできない、竹刀も振れない日々が続き、ぼくがぼくでないような、みんなに置いて行かれそうな焦りを感じ、「早く剣道がしたい。竹刀を思いっきり振りたい。」と思いました。50日くらい経った頃、医師が「もう大丈夫。」と言ってくれた時は天にも昇るような気持ちでした。「絶対剣道を続けていくぞ。」と改めて思いました。
高学年になり、試合や遠征の回数が増えました。ぼくと母が試合に出かける時は父が、父も仕事の時は祖父母が妹の面倒も見てくれます。朝はまだ暗いうちから出かけることも多く、妹も起こされ眠い目をこすりながら祖父の家へ行きます。妹には障害があって言葉を話すことができません。だから、「淋しい」とは言わないけれど淋しい思いをしているのだろうな。今までぼくは一人で剣道をがんばっているように思っていたが、家族のみんなが協力してぼくを応援してくれていることに気がつきました。
ぼくはある時、館長先生のお家へ行って先生と将棋をさしていました。その時先生が、「斎田、お前なァ妹とよく話をしているか。」と聞かれたので「あんまり」と答えました。「お前の妹の病気はな、人とのコミュニケーションがうまくとれない病気だけど、家族の人がやさしくいろいろ話しかけてあげると、きっと伝わると思うよ。学校のこと、剣道のこと一ぱい話しかけてあげたらきっと喜ぶよ。」と教えて下さいました。
それからぼくは妹が聞いていてもいなくても話しかけるようにしました。特に剣道のことをー生けん命話してあげました。
ある時、試合で優勝したことを、身振り手振りでおもしろく話していると、いつも無表情な妹がニッコリ笑ってくれたのです。ぼくも嬉しくなってつい長話しをしてしまい妹は眠ってしまいました。でもあの笑顔はぼくに勇気をくれました。そしてその時「剣道をしていて本当によかった。」と心から思いました。
道場では剣道ばかりでなく、人としての生き方や日常生活の常識も教えて下さいます。だから剣道と出会えたことはぼくの人生にとってすばらしいことだったのです。剣道はぼくの宝物です。
母は介護の仕事をしながら、ぼく達を育ててくれていますが、光武館の保ご者会会長としても道場のお世話をしてくれます。そんな母に少しでも恩返しがしたいなとこのごろ思います。それは、先生や友達や家族へ感謝の気持ちを忘れず、剣道という宝物を大切にしながらせい一杯妹を守ってあげられる人間になることだと思っています。
|
|